山号は華輪山,院号は真風院,本尊は阿弥陀如来,宗派は真宗大谷派に属し本山は東本願寺。
 健保2年(1214)この地の領主である佐竹末堅により招聘された,三井寺沙門である安信法印堯範阿闍梨により「願泉寺」として開創された。承久元年(1219)聖徳太子の夢告を得て,笠間に居る親鸞聖人に帰依し,法名を定信と賜る。後に親鸞聖人二十四輩第十四番旧跡を名乗る。
 江戸期,水戸光圀が願船寺を詣で「嗚呼無明の大夜には無漏の恵燈あり 難度の苦界には六・八(四十八)の願船あり 然れば願泉寺の泉の字をあらためて船という字を書くべし」と命じて,願船寺となったと伝えられる。境内には「泥涅泉(ないねせん)」と光圀命名による泉が今も湧き出ている。
 幕末,藩主徳川斉昭による廃仏毀釈に最後まで抵抗していた願船寺21世住職学玄は,弘化3年(1846)2月2日丑の刻,水戸藩による焼き討ちに会い本堂を始め伽藍すべてを焼失した。10年後の安政2年(1855)に辛苦の思いで本堂を再建し,落慶間際の学玄は,藩の刺客により本堂の屋根より突き落とされ39歳の生涯を終える。明治まで12年,混沌とした幕末の貴重な歴史的事実である。
文責 願船寺住職
東海十二景の碑
鐘楼
名 称 願船寺晩鐘
郵便番号 319-1101
住 所 茨城県那珂郡東海村大字石神外宿1047
電 話 029-282-8515
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