「石神神後鑑記」には、「北は久慈川を左に抱き,壕には河水を入れてたたへ、久慈川の外大橋川あたりまでは、足入りの沼田にて、馬足の及ぶところにあらず。東の方は大沼にて鳥ならで通ふ尺地もなく、遠くは蒼海満々として風波の響きすざまじく、艮には久慈川の流れを帯びたり。城外には大壕三重にして、その間は松柏・杉・桧おい茂り、矢玉も透るべきさまなし。本丸より二の丸、三の丸と西のほうに打ち続き、其の間遠くしてうかがうに方便なく、誠に要害堅固なり。」と記されています。
石神城は、慶長七年(1602)に、小野崎氏が秋田に赴くとともに廃城(天正五年)となり、村民の憩いの場の城址公園となっています。
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東海十二景の碑
城址跡の広場と桜
名 称 石神城址公園
郵便番号 319-1102
住 所 茨城県那珂郡東海村大字石神内宿1244
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